量子コンピュータが変える金融の未来 ── 大阪大学・宮本准教授が語る「金融×量子」の今とこれから

「金融と量子コンピュータは、なぜこれほど早くから結びついたのか」──この問いを手がかりに、量子コンピューティングの金融応用研究の最前線に立つ大阪大学・宮本准教授に話を聞いた。理論研究の蓄積と実機の進化が交差する現在地から、研究者の視点で金融×量子の「今」と「これから」を率直に語ってもらった。

大阪大学 宮本幸一准教授

金融と量子は、なぜ「相性がいい」のか

──金融業界は、量子コンピュータの産業利用において常に最も積極的なセクターの一つです。なぜ金融と量子はこれほど早くから注目されてきたのでしょうか?

宮本先生: 数理ファイナンスという分野が古くから存在し、業務の中に数値計算が深く組み込まれているからだと思います。現代においてはほとんどの産業で数値計算は重要ですが、ファイナンスにおいてもその歴史は長いです。

具体的なきっかけとして大きかったのは、2018年頃に量子モンテカルロ積分と呼ばれるアルゴリズムのデリバティブプライシングへの応用が提案されたことです(参考文献[1])。モンテカルロシミュレーションは数理ファイナンスの文脈で広く使われている数値計算手法で、それを量子コンピュータで高速化する可能性が示されたことで、金融分野への応用研究が一気に動き始めました。

また、金融機関は日々激しく変化する市場の中で利益を追求しており、機械学習をはじめとする最先端技術を積極的に取り入れる文化があります。競争力のある金融機関から先行して新技術を取り込もうとする動きは自然なことですし、わずかなリターンの差が大きな利益の違いを生む世界ですから、新しい計算技術への感度が高いのだと思います。

最大のブレイクスルーは、2018年の「量子モンテカルロ」

──金融×量子の歴史を振り返ったとき、最大の転換点は何だったと思われますか?

宮本先生: やはり、先ほど申し上げたモンテカルロ積分の量子高速化アルゴリズムの応用提案が注目を集める端緒になったと思います。

ただ、正直に申し上げると、これは多項式的な高速化、いわゆる二次高速化です。化学や物性物理の分野で期待されるような「指数関数的な高速化」が金融の具体的な問題に対して本当に得られるかどうかは、現在もまだ明らかになっていません。(編集部注:サイズNの問題を解くための古典コンピュータでの計算量が2Nであるとき、量子コンピュータではNの多項式程度の計算量になる場合を「指数関数的な高速化」と呼び、実用上の問題サイズでも劇的な高速化が期待されている。一方で、量子コンピュータを用いても2N/2といったNの指数関数で表される計算量に留まる場合を「多項式的な加速」といい、実用上の問題サイズで役に立つ高速化が得られるかは自明ではない。特に、2N → 2N/2となる場合を「二次高速化」や「二次加速」と呼ぶ。データベース探索のグローバーアルゴリズムや量子モンテカルロ積分は二次高速化の代表的な例である。)

指数関数的な高速化が得られる事例を金融の中で見つけていくことは、まだこれからやるべき大きな課題として残っています。

「今すぐやるべきか」は、会社それぞれの判断

──古典的なコンピュータも進化し続けています。あえて「今」量子に投資・研究する最大の理由は何でしょうか?

宮本先生: 正直なところ、今取り組むべきかどうかは、それぞれの会社の判断によります。以前は積極的に量子計算を研究していたが、今は手を引いているという企業も実際にあります。

一方で、今の段階からNISQ(ノイズあり中規模量子コンピュータ)に触れておき、知見を蓄えておくことには確実な意義があります。たとえばエラーミティゲーションのような技術は、NISQの時代に培った知見がFTQC(誤り耐性量子計算)の時代にも生きてきます。今のうちに手を動かしておくことは、将来への投資です。

本丸はFTQC──NISQは「知見を蓄える時代」

──現在、アニーリング、NISQ、FTQCと様々な技術フェーズがありますが、金融実務において最も現実的なアプローチは何だとお考えですか?

宮本先生: 個人的な見解ですが、本丸はやはりFTQCアルゴリズムだと思っています。

アニーリングについては、古典コンピュータ技術を活用していて実際には量子アニーラーを使っていないケースも多く、「量子技術で組み合わせ最適化ができました」という主張にはやや疑問を感じることもあります。ただ、業務上の課題が解けるなら活用すること自体は否定しません。

NISQについては、有望なユースケースを見つけることがなかなか難しい状況です。近年の実機開発の進展がFTQC実現へ近づいているスピードを考えると、NISQで明確な有望事例が見つかる前に、FTQCが先に実現するかもしれないとも思っています。

ただ、だからこそNISQを使って知見を蓄えながら、量子専門家と金融・ファイナンスの専門家がうまく連携してFTQCの有望なユースケースを探索していくことが、現時点での最も筋が良いアプローチではないでしょうか。

最もインパクトを受ける領域──リスク評価、ポートフォリオ、不正検知

──将来的に量子計算が本格実装されたとき、金融の現場で最も大きなインパクトを受けるのはどの領域でしょうか?

宮本先生: さまざまな領域が候補として考えられます。

まず信用ポートフォリオのリスク評価は、モンテカルロシミュレーションが非常に幅広く使われている分野です。銀行の貸し出しポートフォリオについて、デフォルトするかしないかのシナリオを大量に生成し、バリュー・アット・リスク(VaR)などのリスク指標を統計的に推定する──こうした業務は、量子高速化の恩恵を受けやすい領域の一つです。

ポートフォリオ最適化も重要な候補です。古典的な機械学習と比較してわずかなリターンの改善であっても、金融の世界ではそれが大きなビジネスインパクトにつながり得ます。

また、不正検知(アノマリー検出)も興味深い領域です。古典モデルと量子モデルそれぞれが異なる種類のアノマリーを検出しやすいとすれば、両者を併用することでベネフィットが生まれる可能性があります。

ただ、どの領域で、どれほどのインパクトがあるかを定量的に評価することは、まだ進行中の課題です。「これが有望」とはっきり言える状況には、現時点ではありません。

理論だけでなく「リソース見積もり」へ──研究の方向性

──量子コンピュータの金融分野への応用について、これからどのような研究を進めることが重要だとお考えですか?

宮本先生: 新たなアルゴリズム・応用の考案も、具体的なリソース(量子ビット数・量子ゲート数)の見積もりも、どちらも重要で両輪だと思っています。

ただ、業界全体の流れとして、かつては理論的な研究が中心でしたが、実機がより現実的になるにつれ、「リソース見積もりをちゃんとやるべき」「あわよくば実機で動かしてみるべき」という風潮が確実に強まっています。理論的なアルゴリズムの提案にとどまらず、現実のセッティングに踏み込むことが求められています。

個人的には、これまで理論的な研究を中心にやってきましたが、具体的なリソース見積もりにも積極的に取り組んでいかなければと考えています。

また、クオンツなど金融分野の専門家が量子コンピュータを学び、研究に参加していただくことが非常に重要だと思っています。数理的なバックグラウンドを活かして量子コンピュータを習得できる素地がある方は多いはずで、そういった方にはぜひ積極的に取り組んでいただきたいです。

産業界との連携を、業界を問わず歓迎

宮本先生: 大阪大学として、さまざまな企業さんとの連携は非常にウェルカムです。共同研究は常に募集していますし、量子ソフトウェア研究拠点のコンソーシアムや勉強会・講義コースへのご参加も広く呼びかけています。意欲ある企業さんとは、業界を問わずぜひ連携させていただきたいと思っています。

参考文献

  1. Patrick Rebentrost, Brajesh Gupt, Thomas R. Bromley, "Quantum computational finance: Monte Carlo pricing of financial derivatives," Physical Review A 98, 022321, 2018.

プロフィール

宮本 幸一 先生
大阪大学 量子情報·量子生命研究センター 准教授

量子コンピュータが社会にもたらす実用的恩恵を最大化することを目指し、産業・科学の広範な分野における量子アルゴリズムの新規ユースケースの発掘ならびに既存手法の高度化のための研究を行っています。特に、金融機関での実務経験を活かし、金融分野での応用を探索しています。他にも、高エネルギー物理学やバイオインフォマティクスといった多様な分野で、それぞれの専門家たちとの協働のもと学際的研究を進めています。

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