量子コンピュータを用いて分子の遷移振幅を精度良く計算する手法の提案論文(プレプリント)を公開しました。
株式会社QunaSysの井辺・中川・山本・御手洗、三菱ケミカル株式会社Science & Innovation Centerの小林高雄 主席研究員と高玘 主任研究員は、量子コンピュータを用いて光化学で重要な量である「遷移振幅」を精度良く計算する手法を提案した論文(プレプリント)を公開しました。
株式会社QunaSysと三菱ケミカル株式会社の共同研究成果です。
“Calculating transition amplitudes by variational quantum eigensolvers”
https://arxiv.org/abs/2002.11724
追記:2022年3月3日付けで、Physical Review Research誌に掲載されました。
https://journals.aps.org/prresearch/abstract/10.1103/PhysRevResearch.4.013173
背景
量子超越、すなわち量子コンピュータが古典コンピュータ(スパコン等を含む通常用いられる計算機)より高速に計算できる実例が示された現在(詳細はQmedia記事を参照)、量子コンピュータの最初の産業応用先として量子化学分野が注目を集めています。特に、分子中の電子の励起状態(光や熱、電磁場等により安定状態から外れた状態)の性質は、化学反応や光物性に重要である一方、古典コンピュータによるシミュレーションが困難であるため、量子コンピュータによる計算の高速化が期待されています。近年、量子コンピュータを用いた分子の励起状態計算手法が数多く提案されており、その中でもSSVQE (subspace-search variational quantum eigensolver, 弊社提案) [1]、MCVQE (multistate-contracted variational quantum eigensolver) [2]、VQD (variational quantum deflation) [3]の3手法が広く知られています。
問題点
電子の励起状態シミュレーションの主たる応用先である光化学においては、計算された基底・励起状態間の光と分子の相互作用等による「遷移振幅」(相互作用演算子に関する異なる状態間の行列要素)という量を計算し、これを用いて光の吸収・発光など様々な応答量を予測します。上記の励起状態シミュレーション手法の内、SSVQEやMCVQEについては、計算した励起状態に対してこの遷移振幅が容易に計算できるという利点があります。一方VQDは、得られた励起状態に対して、量子コンピュータ実機で実行しやすい形で遷移振幅を計算する手法は知られていませんでした。
手法・結果
本研究ではまず上記の3手法(SSVQE、MCVQE、VQD)の実装・ベンチマーク比較を、産業応用上重要な物質であるアゾベンゼンを含む3種類の分子で行いました。その結果、各分子においていずれもVQDが最も精度良く励起状態をシミュレーションできることを見出しました。更に、VQDで得られた励起状態に対して、量子コンピュータ実機で実行しやすい形で遷移振幅を計算する手法を開発しました。本手法を用いて実機に即した数値シミュレーションを行い、分子の「振動子強度」を計算しました。振動子強度は光吸収速度に対応する重要な量で、電気双極子モーメントに関する遷移振幅(電気双極子遷移モーメント)から計算できます。結果は厳密な値と一致しており、本手法の正しさが確かめられました。なお本手法はVQDで得られた励起状態のみならず、より一般に2つの状態間の遷移振幅、すなわちエルミート行列の非対角要素の絶対値の計算に用いることができます。
展望
本研究の「遷移振幅」計算に関する提案手法により、励起状態を正確にシミュレートできるVQD法の応用が大きく広がりました。これにより、光吸収速度に関係する振動子強度だけでなく、様々な外場に対する応答・遷移確率・電子相関によるエネルギーの補正など、量子化学における様々な用途での量子コンピュータの活用が期待されます。
[1] K. Nakanishi et al., Phys. Rev. Research 1, 033062 (2019)
[2] R. Parrish et al., Phys. Rev. Lett. 122, 230401 (2019)
[3] O. Higgott et al., Quantum 3, 159 (2019)