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量子コンピュータでの期待値測定を効率的に行うための手法を考案し、論文(プレプリント)を公開しました。

株式会社 QunaSys の甲田・今井・菅野・中川と、大阪大学の御手洗助教(QunaSys CSO)・水上准教授(同技術顧問)は、量子コンピュータによるエネルギー期待値の測定を効率化するための手法を考案し、論文(プレプリント)を公開しました。

“Quantum expectation value estimation by computational basis sampling”
https://arxiv.org/abs/2112.07416

追記:2022年9月2日に Physical Review Research 誌に出版されました。 Phys. Rev. Research 4, 033173 (2022)

背景

NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)デバイスという量子コンピュータの開発が近年急速に進んでいますが、その有望な活用方法として VQE(Variational Quantum Eigensolver)[1]というアルゴリズムが知られています。このアルゴリズムを用いることで、例えば原子や分子の電子状態のエネルギーを近似的に求めることができるため、物質科学や量子化学への応用が期待されています。

VQE は変分法に基づく手法で、量子コンピュータ上に試行波動関数と呼ばれるパラメータ化された量子状態を用意し、その量子状態に対してハミルトニアンと呼ばれる量の期待値測定を行います。ハミルトニアンは考える原子や分子に依存した量で、その期待値がエネルギー(期待値)を与えます。VQEは、量子コンピュータによって測定されたエネルギー期待値を最小化するように、古典コンピュータを用いて試行波動関数のパラメータを最適化することで、対象の原子や分子のエネルギーおよびその波動関数を求めるアルゴリズムです。
VQEを実行する際に不可欠な、量子コンピュータ上でのエネルギー期待値測定は、実際に実行できる測定回数が有限であるため、必然的に統計ゆらぎが伴います。VQE によるエネルギー計算を高精度かつ効率良く行うためには、なるべく少ない測定回数でこの統計ゆらぎを小さくすることが重要です。

問題点

VQE における期待値推定の標準的な手法[1]では、まずハミルトニアンを NISQ デバイスで測定可能な量に分解し、それらの量の各々を測定により統計的に推定し、得られた各々の推定値を組み合わせることによりハミルトニアンの期待値、すなわちエネルギー期待値を求めます[2]。しかしこの方法では、測定すべき量の数が原子や分子のサイズの増加とともに大きく増大するため、高精度な計算を行うために必要な測定回数が実用上困難なほどに大きくなりうるという問題が知られています[3]。

方法

本研究では、ハミルトニアンを測定可能な量に分解する代わりに、波動関数(量子状態)の分解を用いたエネルギー期待値の推定手法を提案しました。具体的には、物質科学や量子化学において興味のある波動関数がしばしば比較的少数の電子配置により精度良く記述可能であることに着目し[4]、エネルギー期待値をそれら主要な電子配置からの寄与の和として再定式化しました。主要な電子配置は、量子コンピュータ上に生成した波動関数を計算基底でサンプリングすることによって選び出すことができます。標準的手法と比べて、この手法では量子コンピュータで測定すべき量の数を大幅に削減しうるため、より少ない測定回数で統計ゆらぎを要求精度以下に抑制することが可能であると期待されます。

結果

提案手法の性能評価をするために、水やメタンなどの分子を例として、エネルギー期待値の分散の評価を最低エネルギー状態に対して行い、統計ゆらぎを要求精度以下に抑制するために必要な測定回数を標準的手法と比較しました。その結果、主要な電子配置の数が比較的少ないような「偏った」波動関数を持つ分子に対しては、本手法を用いることにより測定回数を数桁程度削減可能であることを示しました。

展望

期待値測定はVQEアルゴリズムの中で多数繰り返されるため、提案手法を VQE のサブルーチンとして用いることにより、VQEが大幅に高速化される可能性があります。また、提案手法は、エネルギー期待値(ハミルトニアンの期待値)の測定に限らず、より一般のオブザーバブルと呼ばれる量の期待値測定に応用することができるため、VQE 以外の変分量子アルゴリズムと組み合わせて用いることも可能です。このため、物質科学・量子化学のみならず、変分量子アルゴリズムの応用が検討されている様々な分野での応用も期待されます。

出典・用語解説

[1] A. Peruzzo et al., Nat. Commun. 5, 4213 (2014).

[2] より正確には、ハミルトニアンをパウリ演算子の積の線形結合として表しておき、各々のパウリ演算子の積に対して量子コンピュータ上での測定を行い、得られた各々の推定値を組み合わせることによりハミルトニアンの期待値(エネルギー期待値)を求めます。

[3] 物質科学や量子化学において電子状態のハミルトニアンを扱う際、ハミルトニアンの分解によって生じる測定すべき量(パウリ演算子の積)の数は、系のサイズ(例えば原子・分子のスピン軌道の数)に対して多項式的に増加することが知られています。この量を減らすため、可換なパウリ演算子の積を同時に測定したり、測定すべき量ごとに測定回数を最適化するなど、期待値測定手法の改善が試みられてきました。しかし以下の文献では、そのような改善を施してもなお、メタンのような小さな分子のエネルギー期待値を1回測定するのにさえ、十分な精度を達成するためには数日かかるという見積もりを行っています。
J. F. Gonthier et al., arXiv:2012.04001

[4] 例えば、多くの比較的小さな原子・分子の基底状態(最低エネルギー状態)においては、Hartree-Fock 状態とその(少数の)励起状態の組み合わせにより精度良く記述できることが経験的に分かっています。より大きな系に対しても、相関がそれほど強くない場合にはこのような性質が成り立つことが期待できます。

Category: Research
Year: 2022