Case: マツダ株式会社

シミュレーションの限界を、量子で超える。

~マツダ技術研究所が描く「量子CAE」の現在地と、国産ソフトウェアへの想い~


お話をうかがった方(マツダ株式会社 技術研究所)

● 小平さん … 量子技術活用を牽引。開発ライフサイクル全体での応用を構想し、最適化技術の実装から取り組みをスタート。

● 霜田さん … シミュレーション(量子CAE/CFD)を担当。設計・生産技術の現場を経て研究所へ。

● 近藤さん … 最適化を担当。統計学をバックグラウンドに、シミュレーション回数の低減と高速化に取り組む。


THEME 1
マツダが描く「量子×自動車」の未来像と現在地

― 量子技術を、マツダの車体設計やMBDのなかで、どのようなタイムラインで位置づけていますか。

小平さん まず前提として、企画から設計・開発、生産、物流、販売まで、自動車の開発ライフサイクル全体を見渡すと、量子技術を活かせる領域は非常に広いと考えています。どの車種構成で開発するのがよいかというポートフォリオの検討、設計開発における最適化やシミュレーション、複数車種の生産スケジュールや物流の最適化。至るところに応用の余地があります。

そのなかで私たちは技術研究所に所属していますので、まずは設計開発に貢献できる技術という立ち位置です。すでに公開しているとおり、最初に着目したのは最適化技術で、これを使った自動車の設計開発への応用が直近の目標。加えて、ハードウェアの進化次第ではありますが、いままさにQunaSysと取り組んでいる量子シミュレーションの領域も、将来的な実用化を見据えて研究開発を進めています。

霜田さん 自動車開発では、非常に多くのシミュレーションを行います。例えばある部品に荷重をかけたとき、壊れないか、壊れるならどこからかを計算で確かめる。実物を作らずに評価できるので、コストも時間も抑えられるからです。ただ、いま求められる要求はかなり高度化していて、計算時間そのものが長く、量も膨大になってきている。ここに量子の優位性を活かしたい、というのが将来の狙いです。現時点では、量子が得意とする問題のクラスもまだ手探りですが、シミュレーションの高速化・大規模化につながる研究開発を進めています。

近藤さん 私は最適化、霜田はシミュレーションを担当していますが、この二つは別々の話ではありません。机上で設計したものをシミュレーションで評価し、その結果を受けてまた最適化する。シミュレーションには非常に時間がかかるので、最適化によっていかにシミュレーションの回数を減らせるか。そして一回一回をいかに高速化するか。この両輪をうまく組み合わせて最終的に設計へ反映していく。現時点としては、まだ検証の段階だと捉えています。


― 従来型(クラシック)のHPCやCAEでは限界を迎える、あるいは量子でなければ超えられない“最大の壁”はどこにあるのでしょう。

小平さん 難しい問いですね。正直に言えば「量子でなければ絶対にできない」という課題を挙げるのは簡単ではありません。ただ、古典コンピュータはムーアの法則にならって微細化が進んできましたが、それがこれ以上進まなくなれば、進化は鈍化していく。一方でシミュレーションはモデルが詳細化するほど計算コストが上がります。半導体の進化による高速化がいずれ頭打ちになると私たちは見ていて、その先でさらに速くしたい、そこを量子コンピュータに期待しています。

霜田さん いま現実に困っているのは、CAEの計算時間です。自動車の開発では流体解析、衝突解析、プレス成型解析など、さまざまなシミュレーションを活用しています。しかし、これらは非線形かつ大規模な計算を伴うため、解析に長い時間を要し、開発効率化のボトルネックの一つとなっています。一方で、この課題が今後の古典コンピュータの性能向上だけで劇的に解決するかというと、必ずしも簡単ではありません。だからこそ、従来技術の延長線上ではない新たなブレイクスルーとして、量子コンピュータの活用に大きな期待を寄せています。

近藤さん おそらく古典でも“できる”んです。問題は、いかに速くできるか。そこに量子のポテンシャルがある、という感触ですね。

― 数年後ではなく“今”から手を動かして知見を溜めることに、どんな狙いや危機感があるのでしょうか。

小平さん 私たちのチームが量子に着目したきっかけは、2019年に発表された「量子超越性」のニュースでした。当時から技術研究所にいて、これがモノづくりにどう影響するのかを調査せよ、と。その後、コロナ禍でプロジェクトが動きにくい時期もありましたが、産業界の量子コミュニティに入って情報を集め、まずはアニーリング(最適化)から本格的な調査を開始。2022〜2023年ごろに、アニーリングの技術開発を本格的にスタートさせました。そのころ、ゲート方式の実用化は、かなり先という感じでしたが、実用化されたに技術開発を行うには、手遅れになるという危機感はありました。

製造業のなかでは、むしろ他社さんのほうが早く着目されていたと思います。マツダは決して先頭を走っていたわけではありません。それでも、自分たちで手を動かし、知見を溜めてきたことに意味があると考えています。


THEME 2
「ゲート型」への挑戦と、QunaSysとの共創

― イジング型(アニーリング)での成果を踏まえたうえで、今回あえてゲート型量子コンピュータ、とりわけQunaSysとの取り組みに踏み出した狙いは。

小平さん アニーリング側のパートナーはQ-STARなどのコミュニティを通じてすでに目星がついていた一方、ゲート型のパートナーはまだ探している最中でした。そのなかでQunaSysは、世界の注目すべき量子ベンチャーとして早くから知っていた会社でした。自動車業界をはじめ幅広い産業との共同研究や学会発表の実績が豊富だったことは、私たちにとって非常に大きな判断材料になりました。競合他社を含めた業界全体の動きは、私たちの意思決定に強く影響します。

― 共同研究の具体的なテーマと、現時点で得られている手応えについて教えてください。


霜田さん 昨年、短い期間ではありましたがご一緒させていただきました。ゲート型量子コンピュータのアルゴリズム、特にCAEを量子で解くとなると、国内でもそうした知見を持つ方はほとんどいません。そのなかで、専門的なお話を丁寧にいただけたのが本当にありがたかったです。コードも柔軟に、使いやすいパッケージとして提供いただけたので、そのあと自分で「こうすればもっとできるのでは」「自分のアルゴリズムと組み合わせられるのでは」と展開しやすく、次の研究にもつながりました。

小平さん テーマとしては量子CAE・量子CFDの領域です。私たちにも前提知識がなかったので、教育プログラムからソースコードを含む実例まで、こちらの人材育成までカバーしていただけました。丸投げしたものが出来上がって返ってくるのではなく、“ちゃんと一緒に”進められたことが大きかったですね。

― パートナーとしてのQunaSysで、特に評価しているのはどんな点ですか。

霜田さん やはり技術力の高さです。量子コンピュータが得意なのは、専門的に言えば線形的な計算。ところが世の中の現象の多くは非線形で、量子で扱うには一工夫も二工夫も要ります。その“工夫”を一番知りたかった。一次元の移流方程式、波が動く物理モデルを題材に、まず理論があって、実装するとこうなる、というところまで示していただきました。しかも「量子が万能」ではなく、何が課題なのかまで正直にフォローしてくださった。とても勉強になりました。

小平さん 専門家とのプロジェクトはドメインの壁が生まれやすいものですが、いまの基礎的な段階ではそうした齟齬は起きていません。今後、私たちの自動車業界特有の知識が前提になる領域に踏み込めば、コミュニケーションギャップが出る場面もあるでしょう。ただ、QunaSysは他業界での経験値をお持ちなので、そこは乗り越えていけるだろうと感じています。

THEME 3
CAE業務における量子への期待と、「国産CAE」への想い

― 今後のCAE業務において、量子がもたらす最大のパラダイムシフトは何だと期待していますか。

近藤さん 今はシミュレーションに時間がかかるため、「なんでも計算に投げる」のではなく、机上で練りに練って、戦略的に良さそうなものを効率的に評価する、というやり方になっています。時間を稼ぐために機械学習で代理モデルを作り、近似解を高速に返すといった工夫にも多くの工数を割いていて、今度は近似精度という別の課題まで生まれる。もしCAEそのものが高速化できれば、「とりあえず投げてみよう」に変わり、代理モデルすら要らなくなる。設計開発のプロセスが一新される可能性があり、大きな期待を持っています。

― 日本の製造業における「国産CAE」の重要性、そして量子との掛け算で持てる競争力について、どうお考えですか。

小平さん 実は、私たちが強みとするMBDを支えている技術は、ソルバーからモデリングツールまで、そのほとんどが海外製です。だからこそ、量子の領域では、設計ツールまで含めて“本当の意味でのメイド・イン・ジャパン”を実現できないか、という期待があります。

背景には、コストの問題があります。海外のソルバーやツールのライセンス費用は、毎年のように値上げされていく。これを製品価格に転嫁するのはモノづくりの現場では非常に難しく、間接的には、外国製ソフトウェアが自動車の価格に影響している、とすら言えなくもない。しかも、かつては複数の商用ソルバーが競合していたのに、いまは特定ツールへの一極集中が進み、価格の決定権が偏りつつあります。CAEは1960〜70年代に生まれ、40〜50年をかけて淘汰されてきた歴史がある。量子コンピュータが群雄割拠のいまだからこそ、日本のツールにも勝ち残っていってほしい、という思いがあります。

霜田さん 私は研究所の前、設計や生産技術でCAEを使う側にいました。毎年のライセンス料が非常に高額で、開発コストを圧迫していたのが実感です。ライセンス料に対抗できる国産CAEが生まれれば、その恩恵は大きい。もしそういうプロジェクトがあるなら、ぜひ貢献したいと思っています。

― いまはAIへの投資も重なります。現場の感覚としてはいかがですか。

小平さん ざっくりですが、一企業の視点から見ると、シミュレーションとAIは“同じ財布”なんです。財布の中身が増えないなかで、シミュレーションのコストを下げてAIに回せるならまだしも、今はなかなかシミュレーションのコストを下げられない。そこにAIも上乗せしなければならないのが難しいところです。だからこそ量子には、古典コンピュータをゼロにはできなくとも、その一部を置き換えていく戦略に期待しています。

― 設計の現場にいらっしゃった立場から、AIとの向き合い方について強い思いがあるそうですね。

霜田さん 「AIがこう言っているので、この形状にしました」――設計者として、これは一番やってはいけないことだと思っています。なぜその答えが良いと自分が判断したのかを、物理なり数学なり、きちんと検証してロジックがある。そのうえで良いと言うならいい。AIの出力をそのまま図面にしてはいけない。だからこそ、AIの言うことをちゃんと検証できるツールとして、CAEなり自分の頭なりを持っておかなければならない。これは個人的な信念です。


THEME 4
今後の展望と、これから量子に取り組む企業へ

― QunaSysと共に、今後チャレンジしていきたい次のステップ、長期ビジョンはなんでしょう。

小平さん まずは、早期に“車一台”のシミュレーションを実証したい。事例でよく見る二次元ではなく、本当に車の形をした三次元空間で。ハード(量子コンピュータ)の制約はあるでしょうが、それを工夫して乗り越えていきたい。さらに長期では、量子CAE・量子CFDだけでなく、企業の競争力の源泉ともなりうる材料開発、量子化学計算で材料の基本特性を最初からシミュレートし、データベースを築いてビジネスにまでつなげる、といった世界も見据えています。量子を社内だけの技術に留めるのか、外へ拡散できる技術にするのか。私は、拡散できるところまで持っていきたいと思っています。

霜田さん 「国産CAE」という言葉に、確かに夢があると感じました。将来的にビジネスとして成立するまで発展できれば素晴らしいと思いますが、まずは着実に技術開発をご一緒できればと思っています。

― 一方で、参入企業が増えることには複雑な思いもあるとか。

小平さん 正直に言えば、競合にはなってほしくない(笑)。でも、私たちだけで開発するとガラパゴス化してしまう。だから“仲間”が欲しい。そういうジレンマを抱えています。結論としては、一緒に走る仲間を募集しています、ということですね。

近藤さん 議論できる相手がいないと、私たちのレベルも上がりません。とくに広島には近くに仲間が少ない。参入が増え、互いに高め合える環境になればと願っています。自治体の後押しも重要で、量子コンピュータを誘致した川崎市のような例は、一つのモデルだと思います。

― 最後に。まだ量子への投資を躊躇している企業やエンジニアへ、先行者としてのメッセージを。

小平さん 量子コンピュータは、物理現象そのものを計算に応用しています。少しでも物理をかじった人なら、「こうやって動いているのか」と知るだけで興味が湧くはず。だから、食わず嫌いにならないで欲しい。セミナーなどに一度触れてみると、案外おもしろいと感じてもらえると思います。さらに言えば、いまはゲート方式も群雄割拠で、「どの方式が本命か決まってから動こう」と様子見の方もいるはずです。その点、QunaSysのように、どの方式にも横串で使えるSDKを整えてくれていると、ユーザーは一つのソースを書いておけば方式の違いを吸収してもらえる。将来どの方式が主流になっても資産が無駄にならないか。そこは私たちも気にかけている点で、ハードに対してフラットに位置づけているQunaSysならではの価値だと感じていまして、QunaSysのように伴奏してくれるパートナーを見つけることも、量子コンピュータをうまく活用するうえで必要になるかもしれません。

霜田さん 入門書も増え、最初の一歩はとても踏み出しやすくなっています。ただ、知れば知るほど奥が深い。踏み出しやすいけれど、沼です(笑)。自分のバックグラウンドの知識と量子が結びついたとき、そこに面白さが生まれる。そういうアイデアが力になると思います。

近藤さん 私は理論より実験のタイプなので、難しく考えずとにかく触ってみて欲しい。知らないとできない、ではなくまず触って、何かできた、そこから理解を深めていく。そのハードルを下げることが、新規で始める人にはいちばん大事だと感じます。


2026/09/16

Category: 共同研究
Category: 共同研究
Year: 2026